塩飽諸島クルーズ二日目 志々島
クルーズ二日目
距離にもよりますが、一日5万程度でクルーズを請けてくれます。今回10名だったので
ひとり5000円で一日あそべました。
この日の旅程は、詫間→志々島→佐柳島→真鍋島三虎でランチ→小手島→手島→六口島
→下津井で9名下船→詫間で1名下船というコース。
まずは大楠で有名な志々島へ
詫間港から10分程度で志々島へ。定期便もあるのですがクルーズは
効率的に島巡りができるので楽しい。今回のコース定期船のみで
いこうとしたら3日はかかる。
島についてすぐ視界に入るのがこちら。埋める墓と参る墓の二つの墓をつくる地域が全国で数か所のみありますが、こちら佐柳島もその一つ。
写真は埋め墓のほうで、霊屋を建てるのが特徴。寺には他の地域と変わらない石の墓もあります。
そしてこの島最大の魅力がこちら、港から15分くらいの登山で出会える
志々島の大楠
樹齢1200年奈良時代くらいから鎮座するご神体。ほんと精霊が住んでいそうです。
大楠からさらに3分ほど登ると最近できた展望台が。
まさに一枚の絵画
集落。手作り手案内板。このような案内が各所にあったりなかなか親切な島です。
もう人口は20名程度ですが、観光客向けに商店もあります。最近アーティストさん
も移住し盛り上げているようです。
ヤギもいた。
なれていて構えとないていましたが。エサはなく・・・
塩飽諸島クルーズ一日目 羽佐島 与島
小与島での廃墟探検の次は羽佐島へ 与島の上にある無人島で瀬戸大橋の橋げたとなっています。
この周囲は結構危険で、2020年には修学旅行のチャーター船が沈没がした
与島沖旅客船沈没事故が発生しました
上陸
どこにでも釣り人はいる。ただこの島は岩に上陸とかでなく、橋の保守管理のために小さな港がありますので比較的容易に上陸できます。
ただ何もないです。
瀬戸大橋を真下から。 これが撮影したかった。巨大構造物好きというほど
ではありませんが魅了されます。撮影したい方は是非チャレンジを
与島方向を望む
様々な橋脚を
メンテナンス工事中でした。
二等水準点
船からの瀬戸大橋も良い
次は5分ほどで与島へ。
この島も橋げたの島です
こちらには100人程度の島民が居住。
集落から徒歩で与島パーキングエリアに向かう。
バス停があり本土へ戻れます。
一日数本しかありません、 この日は我々探検隊一行10名のみ。
一度は廃止案も出たそうですが存続、協力しましたな・・・・
瀬戸大橋ブームの頃は、それこそ時刻表など見なくてもよいくらい本数が
あったそうです。
塩飽諸島クルーズ一日目 小与島
塩飽諸島を二日間クルーズで楽しんできました。
一日目はチャーターではなく瀬渡し船利用ですが、時刻表がある瀬渡し船で計画が立てやすいシステムでした。
場所は下津井の太公望さん運航時刻表 | 渡船たい公望 | 岡山県倉敷市下津井の海釣り・磯釣り・波止釣り・貸切釣船 (tosen-taikobo.com)
料金も場所により往復1000円からとリーズナブル。
今回はまず小与島に、その後羽佐島に場所替え、最後に与島に降ろしてもらい
5000円でした。
釣り以外で小与島に行きたがるのは廃墟マニアと離島マニア。あと最近は
コスプレ関係の方も多いと聞きます。
そして彼らの目当てがこの廃墟ホテル「ホテルアクア小与島」
瀬戸大橋開業のブームに便乗し、こんな小島で巨大リゾートを計画しましたが、
あっという間に破綻。数年のみの営業で終了しましました。
もう30年近くたちましたが、訪れる人も少ない離島にあるためか。
地元の若い衆に荒らされることもなく当時の姿を残しています。
入り口横 プールだったようですが。今はカエル天国
半月の形のホテルすべての部屋がオーシャンビュー
ホテル内の大浴場
こんな風呂でくつろげたらどんなにリラックスできたか。
エントランスと階段
吹き抜けとなっています
二階の特別室へ。
橋が・・この部屋は一泊10万近くしたようです。
確かに価値がある
その特別室の浴室
貴重な赤い大理石
和室宴会場にて
なかなか良い配置に椅子が。誰か移動させたのでしょうか。
さてホテル以外も散策
この小与島は何百年も採石場として関西方面に石を供給してきましたが、資源が
枯渇し廃業。 かつては山だったと思われる島は現在ほぼ平です。唯一山だった様子がわかる跡
最後は山だけでなく地下にまで掘り始め、いまは人造湖に。
わたしたちが近づくと鴨が一斉に飛び立ちました。瀬戸内の小さな島で
海の鳥でない鴨に会えるとは・・・
まるで戦隊もののような風景
お前元気だったか!!
この島は実は1所帯2名の方が暮らす有人島でもあります。
3年間にあった犬コロと再会・
すっかり老犬になっていましたが。うおうお吠えかかる元気はあります
Re:planterさんの植物照明を購入
前々から欲しかったRe:planterさんの植物照明を購入しました。
何かの雑誌で四年くらい前に知りましたが、京都で活動しているようで、その時は近場で展覧会などないので買いませんでしたが、東京のギャラリーに出店すると聞いてさっそく訪問
展示風景。
ずらっと天井から植物照明。苔玉やら砂漠の植物あるいは食虫植物など様々な
作品。
部屋の照明にあるとインパクト抜群
価格はどのくらいか心配でしたが5万五千円~と手が届く値段でした。
作家さんご本人もおられたので、手入れの仕方などをうかがう。
天井に吊るせないだろうから心配だと話すと、台や手入れのセットも付けてますの
直置きも大丈夫と。
また私が選んだ食虫植物と苔は週一回程度浴室でシャワーを威勢よくかける感じ
なのでそこも楽だと、
初心者にも簡単そうなので安心し購入を決断。
というわけで、台付で届いたので机の上に
食虫植物をアップ
購入して三週間ほど経過しましたが、週一の水やりでこのように元気です。
こちらが付属の手入れセット。ハサミ・ピンセットなど
これだけでもいい値段しそう。
照明なので光らせてみたり。毎日8時間ほど点灯しています。
天井からも吊るしてみました。ひもを調整して寝室の照明に良いかもな
水槽の魚と、魚用の照明にしようか。
現在の様子。魚は猫の影によくいます。
興味を持たれた方はRe:planterさんのサイトもどうぞ。
北キプロストルコ共和国料理 Yakamoz cafe&bar 新狭山
まずはキプロスはご存じでしょうか?
地中海の東、ほとんど中東という場所にある島国です。人口120万程度。日本の岩手県と同程度の国なのですが。この国、ギリシャ系とトルコ系に別れている分断国家です。
元々ギリシャ系住民が多数であったこの島でしたが、オスマン帝国の統治下でトルコ系住民も徐々に増え、2割~3割を占めるようになりました。
その後イギリス統治下で、お互い民族意識が強まり、ギリシャ系住民はギリシャへの統合を目指すようになりました。
1960年に独立を果たしますが、早くも1963年には両者が対立、国連軍が派遣されます。
そして1974年には、ギリシャ併合派がクーデターを起こしギリシャ軍が進駐、その混乱の中、トルコも対抗し住民保護を名目に軍を派遣。しかし、クーデターで倒したはずの大統領は生きており、逆にギリシャ併合派やギリシャ軍は制裁を受ける立場に。結局併合計画は瓦解し、ギリシャ側の政権も崩壊しました。
結果、ギリシャには併合されず、 西側のギリシャ人国家と東側のトルコ人国家に分断することになりました。地図のピンク色がギリシャ側。赤色がトルコ側 水色は国連軍の設定した緩衝地帯(有刺鉄線や地雷原)緑色が英軍の基地です。
ただし世界が承認しているのはギリシャ側のキプロス共和国で、トルコ側の北キプロストルコ共和国を国家承認しているのはトルコのみという状況です。
長くなりましたが、そのトルコ側の北キプロストルコ共和国出身の方が埼玉狭山でお店を開いていると聞いてさっそく訪問。
新狭山駅から徒歩25分 また駐車場も三台分あるので便利
団地新狭山ハイツ横に 分断国家の片方トルコ側の、北キプロストルコ共和国の料理を食べられる店が。
メニュー フムスなどトルコ・中東のメニュー
ここから何点か選ぶ。 オリーブといったギリシャなメニューはもちろんなし
ケバブサラダ。
まずはトルコといえばケバブ。たっぷりのソースがうれしいサラダ
スパイスもきつくなく食べやすい
チーズとほうれん草のピデ
よくトルコ料理店で提供されるトルコのピザ。
宅配ピザのように盛り付けたっぷりではなく、シンプルかつチーズと生地が楽しめるピザでした、イタリアで食べたピザもこんな感じだったなと思いだす。
こちらは中野のシリア料理店ゼノビアで購入したチーズのピデ
似ているが微妙に違う。こういう比較が楽しい。
ツナのディップも注文
店長に北キプロストルコ共和国らしい料理をと頼むとヘリムチーズ焼き
を勧められました。キプロスそしてトルコの地中海沿岸地域で基本の食べ方だそうです。チーズを焼いて、トマトなど野菜と食べたり。今日はそのまま。 すごい香ばしく口の中でのとろけ方が半端ない。面白そうなので今度カマンベールチーズなどでもやってみようか
塩コショウで味付けした小麦の皮の中に、ひき肉や玉ねぎ、スパイスを入れるトルコメジャーな家庭料理。日本のトルコ料理店で食べた方も多いのではないだろうか。
さすが勧めるだけあって、口の中に広がるスパイスと食感半端なし
ここで紅茶を、 なんと150円
奥にいたお客さんは チーズフライや春巻きなどとゆるりと時間を楽しんでいた
近くにあったら、こういう使い方は楽しい。
デザート。バクラヴァ
在庫がなかったのですが、この日はパティシエさんが遊びに来ていて、
店まで取りに行ってくれました~
これ幸いと、奥のお客さんも取りに行くときに頼んだようです。
パイ生地を何重にも重ね、ナッツやクルミにたっぷり蜜をかけたお菓子
あまーい濃密な味。紅茶にぴったり
感想
チーズ好きな方にお勧めの店
今回ヘリムチーズ焼きやチーズとほうれん草のピデなどを頼みましたが、チーズにほんのり中東のスパイス。食べやすく食感がよい。また値段もこれ以外にも頼んだのですが
3名で一人当たり2000ちょいでした。
日本語が堪能というか、埼玉県人デーブスペクター並に流ちょうな店長がいろいろ教えてくれます。
Yakamoz cafe&bar 新狭山
予約などは公式で
界隈の旅行好きの方々が集う人気店ですので、予約しておいた方が無難
Yakamoz – Cafe&Bar (yakamozcafebar.jp)
埼玉県 狭山市 青柳63-7 二階 ですが正確な住所がうまくでないので
YAKAMOZ CAFE&BARで検索を
また近くにはデザートのバクラヴァ 他トルコの食材を扱うお店もあります
こちらも料理店と同じ経営者で北キプロス出身の方のお店です。
今回は訪問せず
ネット販売もしています。
Haselfoods.co.jp | トルコ食品のオンラインショッピング| トルコ料理
周防大島と周囲の島への旅7 笠戸島 粭島
写真は下松市の観光案内より
この異様な髭の人物は、長岡外史中将 。航空産業に縁が深い人物で、この髭もプロペラ髭と呼ばれていました。詳しくはWikipediaでも読んでほしいのですが、最初は長岡将軍も飛行機発明援助要請に対しに冷淡であったが、ライト兄弟に発明を先行されたのを知り、その態度を恥じ、日本の発明家に謝罪する度量の持ち主で、その後は航空産業発展に尽力しました。
この長岡将軍は笠戸島出身ではないのですが、島が属する下松市の出身です。そのため笠戸島に外史公園が造られ、銅像も建立されました。
銅像の写真を撮り忘れたので観光協会の写真を引用しましたが、こちらはこの島の郵便局の風景印です。やはりプロペラ髭の将軍が凛々しい
笠戸島の見どころとしては、造船工場の絶景を挙げることができます。
少し高台に上がれば、このように造船工場が丸見え。
残念ながら、目の前のドックは空いていましたが、ここで建造していたら詳らかに観察できるでしょう。
集落のやや高台から。
住民には見慣れた風景でしょうけど、観光客には不思議な光景
iPhoneで不鮮明な画像ですが、これはコンクリート製被曳航油槽船の残骸です。太平洋戦争時に、船の鋼材も不足し、コンクリートで製造された油槽船で主に瀬戸内で活躍したようです。それが今もここに放置されています。
比較対象として、こちらは広島県の安浦魚港で防波堤として活躍している、元コンクリート船武智丸です。この船にはエンジンが取り付けられ自力航行ができたそうです。
笠戸島の廃線は曳航してもらい進む船でした。今回遠くから撮影しただけですが、砂浜に降りて近くから撮影もできるので興味がある方はどうぞ。
次の島粭島へ移動 途中宇部興産や 日本精蝋株式会社 徳山工場
を見ながら島へ。
このホーランエー食堂のある場所が粭島。
島というよりほとんど半島の付け根のような場所で、島民も島にいるという感覚はなさそうだ。
旧粭島小学校
ドラマかアニメの舞台になりそうな学校です。
現在は避難所として使われたり、たまにコスプレ撮影会の会場としても貸し出されるようです。
学校内部も郷愁をそそります。また保存状態も良い。
山口を中心にイベントをよく開催されているようで、産業遺産や島を選ぶなどセンスが良い。
土曜だけ営業という古民家食堂。ぜひ食事したかったのだが。まあ週一ですのでむりでした、現在は、火曜水曜はランチの店 「そらとうみ」として営業。日曜もカフェとして営業する日もあるようです。仕事が休みの島民が日替わりで店長なのだろうか。
その後空港近くの温泉により東京へ。
かなりの数の島を訪問できて充実の旅でした。
周防大島と周囲の島への旅6 みんなの田布施町
「田布施システム」という言葉を聞いたことがある人も多いのではないだろうか。
小さな町から佐藤栄作・岸信介と二人の宰相を輩出し、今の安倍元首相もその系譜である。そして、田布施の人脈は政界だけではなく、いつものユダヤ系財閥ともつながり、最大の秘密として、明治天皇はこの町出身の「大室寅之佑」が入れ替わったもので、大室や庇護していた毛利家は朝鮮系であるという荒唐無稽な陰謀論である。
ネットを中心に根強い人気があり、「田布施システム」という言葉自体ネットで生まれた言葉である。
主に反政府的な人に信じられていたようで、今は否定したようだが、一時期は「三宅洋平」氏も信じてしまい拡散に貢献しました。
この陰謀論がひどいのは、天皇家に関わることと、朝鮮民族陰謀にもつながっていることである。
首相が2人も誕生した町に何かがある、利権が程度なら笑い話で終わるのだが。反論のできない天皇家や特定の民族を絡ませるのは本当にひどいですね。
というわけで田布施町郷土館を訪問しました。ここは発掘された資料や民具を展示するコーナーの他、その二人の兄弟宰相の展示コーナーもあります。
岸信介のコーナー
生い立ちや遺品勲章などを展示。
岸氏は個性的な人物で、満州での暗躍、戦後政界復帰後わずか三期で首相就任「昭和の妖怪」と言われました。
戦後CIA等からなんらかの工作はあっただろうが、田布施システムのような荒唐無稽な話ではない。
2,798日連続首相在任の長期政権を維持。調整型の政治家で、年功序列的な自民党のシステムを作り上げた人物とも言われます。
訪問時は、館長さんかボランティアガイドかわかりませんでしたが、長年教育に携わったであろう紳士がいて、解説をしてくれました。
元校長先生に見えて「田布施システム」とか言われてますがとか聞けるような雰囲気ではありませんでした。
田布施町にあります
岸氏とも親交のあった教団 これも陰謀論者に言わせたら関係先になるのであろうか。
確かに関係もあるが、なんでも応援してくれる地元の教団にはリップサービスもしますよね。